結構前に書かれたエッセイだけど、やっと読むことができた。 村上春樹がプリンストンに客員で招かれていたときのあれやこれやのエピソード。 本人も前書きで記しているんだけれど、随分ストレートな意見が書き込まれている。 特に日本の大学受験とか、国家公務員の偉ぶりの所とか、確かに読んで傷つく人もいるかもしれない。(これまた本人もそう断りを入れている) もし他の誰かが書いているなら僕自身もちょっとかちんとくるような意見もあったけれど、村上春樹が書くとそんなに腹を立てるようなことでもないように思えてくる。結局僕は書かれている内容それ自体よりも、村上春樹の文体そのものが好きだったりするので。とくに、「である調」で文章が続いているところに、ちょっとしたオチを語るときに入れられる「ですます調」の効果、絶妙です。これは本当に効果的で、海外で氏の作品が人気あるのは分かるけれど、こういう日本語の絶妙な表現は翻訳しきれないだろうなと思うと、日本語で氏の作品が読めるのは幸せだなと思う。

それから、「アメリカで走ること、日本で走ること」という一節があって、ここは楽しく読んだし、ランナーの端くれとしても全面的に賛成。特に昨今のマラソンブームで、レースに出るのに申し込みの段階から苛烈な席取り合戦があるのはどうなのと思っているので、アメリカの草レースみたいに当日ふらっと参加できるようなレースが日本にもあっていいのにな、とはよく考える。

それにしても、僕が村上春樹を「再発見」したのは『走ることについて語るとき僕の語ること』を読んでからなんだけれど、それよりもずっと前に村上春樹はあちこちのエッセイではランニングについて書いてるんだよね。『走ること~』で氏がランナーだったことを初めて認識した人も多いと思うけど(僕もそのひとり)、小説作品にランニングのことがほとんど出てこないからなのかもしれない。僕が覚えている限り、『羊をめぐる冒険』と『納屋を焼く』ぐらいかな、走るシーンがはっきり出てくるのは。もっとあるのかも知れないけど、印象には残っていない。いつかマラソンについての小説を書いてくれないかなとは思うけれど、氏の作風を考えると、ちょっとそれは想像しにくいとも思う。